<第二章 日常の狭間に>「第二話 桜の香り」


「アナタなんか死んじゃえば良かったのに・・・!」

血まみれの手を必死になって動かす目の前の女性。
もう既に力の入らない手を、そうとは認めずに自分を殺そうとする女性。

―ああ。これは知ってる

「アナタさえ生まなければ・・・!」
そう言った母親。

―これは、俺の記憶だ。

「私は幸せでいられたのに・・・!」
母親の胸に深く突き刺さっているのは自分の握っている剣。
血をどくどくと吸ったあとのような血まみれの剣。

―痛いくらい覚えている。

「殺してやる・・・!殺してやる・・・!」
そうだ。ここで俺は―確かこういったのだ。


「断る」


そう言って、その女性から剣を引き抜いたのだ。

そして――




『殺す』といわれて『断る』と言った子どもは大きくなり、少年・アルギズとなったわけだ。
だが、その少年は今目の前の相手を見てどうしたものかと唸るしかなかった。
「助手さんじゃ話になりませんから」
そう言って人の事務所にずかずかと上がりこみ、ソファに偉そうに腰を下ろしているのは
アルギズが昨日ゴミ置き場にて会った『指揮官』だった。
ふわりとわずかに漂う桜の香水の香り。
生き生きとした釣り目の瞳に『仕事の女』とでもいいたげに短くした髪。
普段はエプロン姿なのだが、今はOLのようなスーツを着こなしていた。
年齢は30代後半とのことだが、実際はそれよりもいくらか若く見えた。
それどころか20代にさえ見える。
本名は『市川 静(イチカワ シズカ)』というらしい。
・・・アルギズにとって極めてどうでもいいことなのだが。

「市川さん。いくらなんでも用件を話していただかないと呼びようがないのですが・・・」
「あら。なんで助手ごときに説明しなければいけないのですか?」
なんともつっけんどんな言い様である。
たまにこういう客が来るときは丁重にお断りしているのだが、
残念ながら言っても引き下がりそうにない。

よくわからないが、
「今オーナーは出かけております」
と言うと
「そう、待たせてもらうわね」
と言い。
「依頼内容を確認しておきたいのですが」
と言うと
「アナタには関係ないわ」
で終わる。食い下がって
「もしかしたら依頼内容をお話したら所長も早く来るかもしれませんよ」
と言うと、
「市川が来たと言ってくだされば早く来てくださるでしょう?」
取り付く島もないとはこのことだろう。
そして面倒この上ない。
実際仕事をこなすのはアルギズなのだから、言ってもらわないと困るのだが・・・

だいたい、『市川がきた』で通じるわけがないと教えてあげた方がいいのだろうか。

確かに先ほどコーヒーを注いでくるついでに軽く調べた結果によると、
市川 静の夫は結構な大企業の重鎮であるのは本当のようだ。
その手の下請け会社が五万とあるくらいの大企業で、その人の発言力も高い。
そうなれば、確かに『圧力』というものの掛け方も承知だろう・・・
近所の住民も一目置いているくらいである。
しかし・・・それに関して『コールが急ぐ』というのはないだろうと踏んでいた。
先ほども
「すまないが来てくれ。『市川が来た』」
と言ったら
「市川・・・?ああ。電化製品会社の主要人物じゃなかったか?」
「その奥さんだ。」
「ほほう。HUHAHAHAHA!ちょっと待ってろよ!もうすぐでドミノが完成だ!」
とか返してきた。つまりは急ぐ気ゼロである。

コールを呼ぶのは気が引けたが・・・仕方がなかった。
こういうときのための暇人である。
ずっと前の亡霊騒動の際に思いついた作戦なのだが、結構役に立っていた。
ちなみに条件は『朝食と夕食が食べたい。』
・・・・・・・とのこと。

「すぐくるそうです。」
アルギズは暖かいコーヒーを静かに置きながら言った。
「そう」
静はそれだけ言うとコーヒーに口をつけた。
「インスタントにしてはおいしいですね」
「そりゃどうも」
そっけないアルギズにむっと来たのか、静は眉根にしわを寄せる。
そして少し思いついたような顔をして話し出す。
「そういえば、私の夫の話はいたしましたっけ?」
「いえ。少しなら。」
「そうでしたか・・・とても謙虚なんです。いつも普通のサラリーマンに憧れてましてね。
見た目まで徹底して『普通だ』とか言い張るんですの。変わってるでしょう?」
「はあ、確かに。」
確かに変わってはいる。
また自慢かと構えたアルギズはいささか拍子抜けした。
「でも、会社ではとても発言権がありますの。
例えば、『特定のお客にうちの製品を売らない』と言う無茶な注文も通じるんですよ?」
「それはすごい」
アルギズは淡々と答えてから心の中で溜息をついた。

―『職権乱用』だの『脅迫』だというのだろうな。これを。

しかし、アルギズにとってあまりこれは嬉しいことではなかった。
どうして夫が重要なだけでそこまで威張られるのかわからない。
自分の地位を自覚していながらもそれにすがらないアルギズにはそれはわからなかった。
理解できないからイライラする。
その感情を打ち消すように他に質問した
「そういえば、娘さんがいらっしゃるそうですが・・・」
「ええ、今は高校生ですよ。そういえば、あなた高校は?」
「何分お金がないもので」
嘘を淡々と答えると、口元に手を当てて同情するように言った
「それは同情します」
むしろ面白がるような口調だと、自身は気づいていないようだ。
ふわり、と桜の香りがする。
「ありがとうございます。」
淡々と答える。
「よほど酷い親だったのですね。私ならそんなことはしませんよ。」
「ええ。酷い親でした。」
「まあ。それは苦労なさいましたね。」
苦労・・・したのだろうか。
アルギズは少々考え込む。


「しかし、それはあなたも悪かったのでは?」


桜の香りを漂わせたまま、ふわりと静は微笑む。

―悪かった?俺が?

「もし、あなたがもっと親の話を聞いていたら・・・きっと。私には気持ちがわかります」

―気持ちが・・・わかる?

アルギズが表情を硬くしたのにも気づかずに静は続ける。
それは精神の学問を少しかじった人間の知ったかぶりだとも気づかない。
それが相手にどれだけ影響をあたえるかも気づかない。

「もうすこし、話し合ってみてください。親は待ってるのですよ?あなたを。」

桜の香りがきつくなった。
かっと左肩から腕にかけてが痛み始める。
痛いが、それ以上に熱い。

―何も知らないで

「私も少し苦労しましたから」

―すました顔で近づいてくる

「だから、あなたのことはわかるつもりですよ?ですが・・・」

―そして、自分の意見を押し付ける

「親を失望させてはいけませんよ?あなたはやればできるものですから」

本気で心配からこういってくれるのなら、
アルギズはこうも苛立たなかった。
だが、その口調が

『あなたと私は違う』

『どうです?当たっているでしょう?』

『私はいい人だ』

という気持ちがありありと読める口調だった・・・そのため、苛立った。
本気の優しさを知っていたアルギズだったからこそ―

「失礼ですが。」

アルギズは微笑んだまま、冷酷に告げた。

「あなたに私の気持ちはわかりませんよ」

突き放したように言う。
そのことばに今度は静が怒る番だった。
「まあ。私は心配して言っているんですよ?どうしてその好意を素直に受けないのですか?」
眉をきっと上げて講義する。
短い髪をかきあげ、立ち上がる。

「図星ならそういいなさい!」
ふわりとした桜の香りがまた匂った時、アルギズは立ち上がった。
「・・・・・・・・・・・はっきり言って的外れだ。」
そう言って自分の飲み干したコーヒーカップをもってキッチンへ去ろうとする。
そこへ捨て台詞とばかりに静は言い放った。


「私はあなたみたいな人にならなかったことを誇りに思いました。ええ。」


ぴたり、とアルギズの足が止まる。


「あなたがどうしてあの方に雇われて助手になっているかわかりませんね!
アルギズ君?あなたには人間的には何の魅力もないですから!!!」


ここまで言ってしまえば誰でも嫌でも冷静なり、言いすぎだとわかるだろう。
だが、簡易なプライドを傷付けられて激昂していた静にはそれがわからなかった。
アルギズは静から顔をそむけたまま、固まっていた。

しばらく、埃の落ちる音でも聞こえそうな凍てついた沈黙が続く。


アルギズの心は自分でも驚くほどに冷静だった。
それどころか、冷たい氷を押し込めたような感覚がある。
嫌なほど桜の匂いがたちこめる・・・

―違う。

左肩あたりが痛い・・・

―同じ匂いでも『彼女』とは違う・・・違いすぎる。

耳鳴りがする。吐き気もする・・・。

―俺が約束をした『彼女』は・・・


「HUHAHAHAHA!!!待たせたな!諸君!!」

扉が勢いよく開いてコールが真面目な服装でやってきた。
サングラスはメガネに、サンタ帽はつけていない。
瞬間、我に返ったアルギズは全ての感覚が通常に戻っていくのがわかった。

「・・・・・・・・・・・誰だよ、『彼女』ってのは・・・?」

それに、自分の恋人―カノンとは大きな約束をしたことがない。
思考を現実にもどしたアルギズは、コールを見て目をときめかせている静を見た。

―・・・・ときめかせ?

目をこすってみたが、まさしくその通り。
きらきらとした目でじっとコールを見つめている。
「まさか・・・こいつ・・・」
アルギズはうめいた。

そのまさかだったようだ。

学生のようにはじらう30代のおばさん・・・まあ、大学生にぎりぎり・・・は、無理か。
しかし、こいつ夫と子持ちでは・・・
そんなことを考えていると、コールが静に話しかけた。
「で、奥さん。その依頼とは?」
「実は・・・!」
もじもじしながら恥らうように言う。赤面もしていた。
「私、あなたとけっ・・・」
言おうとした瞬間、静の顔が凍りつく。
目線の先はコールの背後。
アルギズも今気づいたのだが、ちょうどコールの後ろで見えない位置にひとりの中年男性がいた。
熱くもないのに汗をかいている・・・40代の男性。

「あ。あの時の・・・」

亡霊さわぎの時の父親だった。
「HUHAHAHAHA!市川と聞いて連れてきたのだ!」
「・・・まさかこいつが?」
「うむ。そやつの夫だな。うむ。・・・で?依頼は何だ?」
気を取り直してコールが言うが、静は口を開いたり閉じたりで声を発しなかった。

しかし『けっ』まで聞けば十分わかったのか、市川氏は悲しそうに言った。
「静・・・確かに惚れやすいことは知っていたが・・・」
「ち、違うの!あなた!誤解よ!!!」
「・・・静、信じていたのに・・・」
そう言い、背を向けて出て行った市川氏を静は勢いよく追った。

「ま、待って!!!あなたーーーーーー!!!!」

その絶叫は近所中に響き渡った。


残されたアルギズとコールはしばらく無言で立ち尽くした。
二階からさっきの叫びで起きたのか、エフが歩き回っている音が聞こえる。
「ま。無駄骨だったと・・・」
アルギズはふうと溜息をついて落胆した。
「HUHAHAHAHA!人生山アリ山脈アリだな!」
「のぼってばっかりだな。」
「HUHAHAHAHAHA!」
今日は何か疲れた。
アルギズはそう感じてげっそりとして寝室に向おうと階段に足をかけた。
その時、コールが真顔で呟いた。
「アルギズ」
「・・・なんだ?手短にな。」

「お前、最近俺に何か隠してることないか?」

「・・・ない」

―コールに言うことではない・・・と思う。

「本当にか?」

「ああ。」

「ならいいんだが・・・」

腑に落ちないようだったが、コールはそれ以上追及してこなかった。
そしてまたいつものふざけたような笑顔に戻ってもう一度聞いてきた。

「で?あいつらがまた着たらどうするつもりなんだ?」

アルギズは階段近くの引き出しを色々いじって一枚の紙を取り出した。
その紙を机の上に置く。
そして、それで用が済んだとばかりに階段をのぼっていった。

その真っ白の紙には色々な文字が書かれていたが、一番上にはこう記されていた。



『離婚届』







続く。

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