<第二章 日常の狭間に>「第一話 記憶と痛みと」


―死ニタクナイ

声がする。
「こ・・・んな・・・」
ああそうか。これは自分の声だ。
かすれて声を出そうとすると、代わりに鉄くさい何かが口から溢れる。
目は霞み周りはぼやけている。
ここは、戦場・・・だろうか?
土煙が上がり、周りに同じような死体がごろごろある。

―死ニタクナイ・・・コンナトコロデ・・・

自分の中の声は強く願う。

「生きたーい?」

これは若い女性の声。
軽い調子で、まるで1+1の答えを聞いてくるような口調・・・

だが、その声は自分の心を的確に言い当てていた。

なんでこんなところに女がという疑問はわいてこない。
力を振り絞ってそれを見れば、うねる緑の髪を三つ編みにした18ほどの女性。
こちらをせせら笑うように、見下ろしている。
力が抜けていくのがわかる。
最後の力を振り絞って・・・俺は――




「アルギズ!アルギズ!」
どんっという衝撃でアルギズは勢いよく目を覚ました。
前のめりになり、パソコンのディスプレイに顔面をぶつけてしまう。
どうやら眠っていたらしい。
「・・・・・・エフ。」
頭をおさえつつ、恨みを込めてアルギズは振り返ると、無邪気な青い瞳がすぐ間近にあった。
背中に飛びつかれたらしい。
コールが拾ってきたビックリマン20号だ。
もうこのチビっ子が来てから一ヶ月半経とうとしていた。
その間に、コールの予告どおり家の中に研究所が引っ越してきたり、
それらをアルギズが一斉排除したりしたが、
アルギズは永久に記憶から抹消していたので語らずともいいだろう。


ビックリマンの本名は『フェンリル』というらしい。
エフというのはアルギズのつけた愛称だった。

このビックリマンことエフは、来た当初話すことすらできなかったが、
しばらくするとアルギズの言葉を真似しだし、一ヶ月もたたないうちにある程度話すようになった。
そして本名を聞きだし、ようやくビックリマンという馬鹿な名前から卒業したわけだが・・・
「アルギズ!見て見て!ボール!」
よくわからないうちにものすごく懐かれてしまったアルギズだった。
こういった風に何でも見せたがり、嬉しいとすぐに抱きついてくる。
多分、抱きつく以外に表現できないのであろう。
最初、笑うか見るしかしないエフを『感情がないのでは?』という疑問もあったが、
一週間もたたないうちにそれは違うとわかった。
この銀髪の小さな子は、ただの小さな子どもとなにも違わない。

「ああ。そうだな。」

それ以外に返す言葉が見つからなかった
それを見てエフは嬉しそうに笑い、そしてきょとんとする、
「アルギズ。夢?」
「夢?・・・将来の夢か?それとも寝たときに見る方か・・・?」
「グーグー?」

寝たときの奴か。・・・それならさっきみたのだが、はっきりとは覚えていなかった。
だが、自分の記憶の反芻でないことだけはわかる。

「アルギズ!ボール!」
会話が成立していないのは気のせいだろうかと顔をしかめるアルギズ。
なにやら嬉しそうではあるが・・・
「って、そのボールどうしたんだ?」
エフはなにやら少し考えるようなしぐさをした。
そして五秒ほど首を傾げたあと、
「アルギズ!ボール!」
・・・・・・飛びついてきた。
会話が成立していないのは気のせいではないと確信した。


ふと時計を見ると朝の八時。
あ、とアルギズは驚いて立ち上がった。
その拍子でエフが転がり落ちてしまう。
しかし、そのくらいでめげないエフは、またしがみついてくる。

今日は火曜日だ。

曜日感覚などすっかりなくなっていたせいで、いつもこの日を逃すのだ。
そう、今日は『燃えるゴミの日』である。
前々からかなりたまっているため、今日出さないとまずい。
どのくらいまずいかというと今日出さねば悪臭がするくらいまずいのだった。
あと30分後には回収車が来てしまう。
アルギズはあわててゴミを3袋掴み、外に飛び出した。


アルギズの住む家は団地のはずれにある。
故に団地中央にあるゴミ置き場にいくには少々時間がかかる。
しかもゴミ袋3つ、背中にエフ付きである。
間に合うには間に合うだろうが・・・

しばらくせかせかと歩いていたが、ゴミ置き場に近づいていくにつれ、
少々足取りが重くなってきた。

荷物が、でも。
エフが、でもない。
気持ちの問題だ。
これは、アルギズがゴミ出しを嫌がる最大の理由でもあるのだが・・・

10分後、ようやく質素なゴミ置き場に到達した。
からす避けもなく、ただブロックで仕切ってあるだけのゴミ置き場だ。
少しあたりをみわたし、ほっとしてゴミを置いたアルギズは、

「あら、アルギズ君じゃない!」

不覚にも5cmほど跳ね上がってしまった。
暗殺集団に囲まれたときよりも過剰な反応である。

「・・・お、はようございます」
なぜか引きつった笑みを浮かべつつ、アルギズは振り返った。
そこには強敵がいた。
アルギズがどうあっても理解不能な人々。
もしかしたらコールよりもつわものかもしれない。

そこには30代後半〜40代の女性が3人ほど立っていた。
俗に言う『おばさん』である。
アルギズは『噂好きのおばさんは漫画などの過剰な表現だろう』と思っていたのだが、

違った。実在したのだ。しかも想像を超える厄介さだ。

妙に人の噂が好きで、妙におせっかい。
ゴミ出しするだけで聞きたくもない近所の息子の話を
30分ほど話されるこっちの身にもなってほしいものだ。

しかもすぐに話の趣旨がずれるので、終わりが見えない。
悪意はないので余計に厄介だ・・・。
彼女らが自分のことをどう思っているかなど、知りたくもなかった。

「久しぶりねぇ。一週間ぶりかしら?」
そう言ったのは一番若いであろう3人の中心に立つ女性。
気が強そうな彼女の名前は知らないが、
いつも3人の中央に立っているので『指揮官』
こちらからみて右側の、人の良さそうな小太りしたおばさんを『右翼』
こちらからみて左側の、がりがりに痩せてはいるが美人ではあるおばさんを『左翼』
と心の中で呼んでいた。

何でも、『指揮官』さんはどこかの資産家の一人娘らしい。
さらに役所の重鎮が夫だということもあってここら一帯で顔が広い。
ついでに言うとプライドが高い。
あと、世間知らずだ。
この人に嫌われるとここでは暮らせなくなる、というのがもっぱらの話だ。
ちなみにこの3人と話すときは大抵『指揮官』と話し、他の二人は相槌をうっていた。
多分だが、『右翼』と『左翼』は腰巾着かなにかなのだろう。
違ったら失礼極まりないことを考えながら、アルギズは軽く会釈した。

『指揮官』はアルギズの背中にいまだにくっついているエフを見て、

「お子さんでしたっけ?」

と聞いてきた。
妙に鼻につく声で、だ。
何回目だろう・・・と思いながらアルギズはひきつった笑顔のまま答えた。

「ご冗談を。俺はまだ15ですから。」
「そう?でも大変ねぇ」
「いえ、それほどでも」
「探偵事務所・・・でしたっけ?助手も大変でしょう?」
「そうでもないですよ。」

もちろん、『探偵事務所』というのは表だけの名前だが。
あらそう?と指揮官がつぶやく。
そして考えるしぐさをしばらくして、
「もしかしてその『探偵さん』っていうのはあの金髪の方かしら?」
と聞いてきた。

目ざといな。
アルギズは心の中で苦笑する。
コールが家に出入りするのを見ていたのだろう。

「はい。よくご存知で。」

とりあえずてきとうに相槌をうち、さっさと会話を切り上げたかった。
さっき残してきた仕事が山ほどあるのだ。

「あら。やっぱり。とても美しい方ですね。」
「はあ。」
「また近くでみて見たいと思いません?」
『指揮官』は後ろの二人に同意をもとめる。
『右翼』『左翼』とも「挨拶もしてないしねぇ」「確かに興味はありますね」
などと言ってきた。

なんだろうこいつら。
アルギズはそっと溜息をついた。
いつもながら不可解だ。

「もし依頼があればお越しください。その時にお会いできるかと思います」

努めて冷静に、丁寧に対処したつもりだった。
だが、『指揮官』はお気に召さなかったようで、目を細めた。

「まあ。気の利かないお子様ですね」

棘のある言葉をのこして、ツンとしてさっさともと来た道を戻っていった。
やはり意味不明である。
『右翼』『左翼』の「じゃあまたね」や、「燃えないゴミは水曜日ですよ」という
ことばに会釈して、アルギズはもと来た道を戻っていった。
妙に香水くさい風を振り払いながら歩く。
その話はそれきりだと思っていた。

「アルギズ!アルギズ!エフも歩く!」
ぴょんとエフがアルギズから降りた。
転ばないように、その手を握って歩き出す。

ふと、この香水の匂いにどこか引っかかるものが感じて、思案した。
桜・・・だろうか?
妙にシャレた感じの匂い。
確か、母親がつけていたのだっただろうか・・・?
いや、母親の匂いなんて覚えているはずがない。
じゃあカノンが・・・?それも、違う気がする。

―確か、気の強い女性。

強くて美しくて・・・
それでも女らしい一面を持っている。
彼女にはいつも頭があがらなくて・・・

―確か俺が『22歳』の時に・・・

「・・・え?」
いや、まてよ。
アルギズは首を振って立ち止まる。
「どうしたの?」
突然止まったのを心配したようにエフがじっと見てくる。

―俺は今15だぞ・・・?それが、何歳だって・・・?

自分の記憶に、桜の香りのする気の強い女性なんて、いない。
いないはずだ・・・いや、勘違いかもしれない・・・。
だが、さっき の  は・・・

クンッと足の力が抜けて地面に膝を着く。
なんだこれは?なんだこれは?なんだこれは?
混乱の中、左肩から腕にかけて猛烈な痛みが走るのがわかる。
内側から火傷するような感覚に顔をしかめる。
何も聞こえない、痛み以外、何も感じない・・・
「・・・こんなところで・・・」
自分で言ったかもわからない搾り出すような声だった。
「後 、  少  し―」

「アルギズ!」

―パシンッ

自分の中で何かがはじけるような音がする。
突如、全ての感覚が戻ってきた。
びっくりして見ると、エフの心配そうな顔がアルギズのすぐそばにあった。
気を取り直して立ち上がる。
「ああ。スマン。立ちくらみだ。」
「アルギズ?」
「大丈夫だ。前から・・・結構あることだ。」
実際そうだった。
左肩から腕にかけての痛みだけなら、
ここ3年のうちに頻繁に起こるようになっていた。
アルギズは、それが何を意味しているかも知っていた。
誰にも話さず、自分の中にしまってきたものだ。

しかし今日の夢といい、いつもと何か違う気もする。

「本当?」
「ああ。」
それでもしゅんとしたエフは、純粋な目でじっとアルギズを見てくる。
「アルギズ、どこにもいかない?」
「いかない」
ほとんど無感動に、答えた。
「ホント?」
「ああ。」
それでも、悲しそうなエフの表情が晴れることはない。
アルギズはそれを見て心が痛むのを感じた。

「じゃあ、約束してやる。」

微笑んで、エフと視線をあわせた。

「お前が俺から離れたいと願うまで、一緒にいてやる。約束だ。」

その気持ちは本当だった。
この迷子を保護者が見つかる前に放り出す気はない。
事情があるなら『できるだけ』家に置いてやっても良かった。
そのことばに、エフはパアッと明るくなった。

「ホント?アルギズずっと一緒?」

ぎゅうっとエフが抱きついてきた。
撫でてやると余計に嬉しそうに笑う。
アルギズは小指を立てた。
「ああ。指きりしてやろう」
「ゆび・・・キリー?痛いのだめ!」
「違う。こうして・・・『指きりげんまん嘘ついたらはりせんぼん飲ます』というんだ。」
「『指きりげんまん嘘ついたらはりせんぼん飲〜ます』!約束!ずっといっしょ!」
「ああ。」

アルギズの心が少し痛んだ。
『ずっと一緒』は無理だろう。
そう知っていながらも、それが嘘だとはいえなかった。

桜の香りがまだ残っている。
そして左肩の痛みもうっすらと・・・

自分でもわかっているのだ。
アルギズの命は、もうほとんど消えかけているということを。
それはアルギズの口からは誰にも言っていなかった。
恋人であるカノンや・・・コールさえ知らないだろう。

そして、何も知らないエフと手をつないで歩き出す
その隣をゴミ収集車が通り過ぎ、淡い桜の匂いは消え去った。






つづく

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